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今も多くの伝説を残す美空ひばり

昭和を代表する歌手として最も有名な人と言えば文句なしに「美空ひばり」でしょう。

美空ひばりは本名加藤和枝と言い、1937年5月29日に横浜市磯子区に生まれています。
幼少期より非常に記憶力のよい才女であったことが広く伝えられており、1946年の9歳の時にデビューを果たしています。

幼い頃の逸話としては、9歳の時に出場した「NHKのど自慢」に出場したときに披露した歌がうますぎたことで審査員の反感を買ってしまい、鐘がならなかったということがあります。

芸名である「美空ひばり」が誕生したのは1948年からのことで、当時出演していた「東京グループ」の劇場に「美空ヒバリ」という広告が掲載されています。

1949年には「東京ブギウギ」で一世を風靡した笠置シヅ子と交流があり、有楽座のコロムビア大会の「春のヒットパレード」に出演したときには代役として「東京ブギウギ」を披露しています。

若い頃から才能を発揮してきた人であったためか、なかなかつらいこともあったようですが結果的に才能が世に認められていくことにより次第にキャリアを積んでいき年齢とともに大舞台へとステップアップしていきました。

最初の大ヒットとなったのが「東京キッド」で、当時13歳で主演した映画同名の映画の主題歌でした。
「キッド」という言葉もそうですが、当時としては珍しい英語由来の歌詞が多く含まれており、子供である美空ひばりが歌うことで新しい時代への希望を表現しました。

次いで15歳のときに「リンゴ追分」といいう曲があり主演をした「リンゴ園の少女」という映画の主題歌としても使用されました。

数々の賞を受賞しつつも52歳で永眠

若くしてキャリアをスタートさせたこともあり、美空ひばりの楽曲は非常に数多く残されています。
生涯を通じてレコーディングをした曲は1500曲を超えると言われており、戦後復興期から近年まで時代に合わせた多くの名曲を残しています。

代表曲を挙げるといっても多すぎて挙げきれないというのが実感ですが、それでもあえて人気の高いものを挙げていけば1989年の「川の流れのように」や、1967年の「真っ赤な太陽」、1952年の「お祭りマンボ」、1964年の「柔」といったところがあります。

現在では多くの歌手やグループにカバーをされているので「え?これも美空ひばりの曲なの?」と思うようなものも見られていたりします。

様々な世代や社会に影響を与えた美空ひばりでしたが年齢52歳で永眠をしています。
亡くなったのは1989年で「アレルギー性気管支炎」が悪化したことにより呼吸器の不全が理由であったようです。

くしくも同年には生涯最後のシングルとなった「川の流れのように」をリリースしたところでした。

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