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  3. 後世に名を轟かす石原裕次郎
映画館

同世代の男女を魅了した「裕ちゃん」

石原裕次郎と言えば、昭和の経済成長期に最も活躍したと言ってもよい銀幕の大スターです。
当時は「裕ちゃん」というニックネームで呼ばれ、同年代の女性から好かれる存在になっていたとともに、男性からも憧れの存在としてカリスマ的人気を獲得しました。

その理由は並外れた身体性にあったとされ、昭和のタフガイという戦後自信を失いがちであった世の中を精神的に支える存在となりました。

プロフィールを簡単に説明すると石原裕次郎は1934年12月28日に生まれ、身長182cm、股下90cmという日本人ばなれをした抜群のスタイルをしていたことで有名でした(後にこれは実際より大きめであったことがわかっていますが)。

戦後の日本においては米軍が各地に進駐しており、体格的に劣ることに大きなコンプレックスも抱きがちだったのですが、そうした大柄のタフガイが日本人にいたということが多くの人の心を支えてくれていたということは確かです。

今でこそ昭和を代表するスターとして絶大な人気となっている石原裕次郎ですが、意外にも出世までの道のりは長く、若い時期は兄である石原慎太郎の陰に隠れていました。

兄である石原慎太郎は早くより文壇で名前を知られる存在となっており、1955年に「太陽の季節」で新人賞を受賞してから東宝の入社試験に合格し助監督の内定を得るというエリートコースを歩みます。

一方で石原裕次郎は東宝、大映、日活のオーディションを俳優として受けますが全てに不合格となってしまい、そこからしばらく素行不良な生活を送ります。

兄の推薦により役を得てスターダムへ

俳優として花が咲くことになったのは兄の小説がきっかけでした。
石原慎太郎の「太陽の季節」」が芥川賞を史上最年少で受賞となることで、一度は入社した東宝を退社します。

その後「太陽の季節」が日活で映画化されることが決定したことにより、慎太郎が裕次郎を映画プロデューサーに推薦をしたのでした。

のちに同じく慎太郎の著書の映画化である「狂った果実」で初主演をし、そこで一気に映画スターとしての人気を得ることになります。

世代を超えた人気を得たのは「太陽にほえろ!」で、38歳の時にボス役として若手の警察官たちをまとめる役になったことで代表作とします。

しかし昭和のスターであった石原裕次郎ですが、1987年7月17日に病気のために突然死をしています。
享年は52歳ということもあり当時はかなり衝撃的なニュースとして報じられました。

死因は肝臓がんであったそうで、実際にはかなり長期間にわたり闘病生活を送ってきたということが周囲の発言によって判明しています。
ただしこの死因については謎な部分が多く、諸説が今もまことしやかに伝えられています。

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