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  3. ブギの女王、笠置シヅ子の楽曲
マラカス&タンバリン

昭和の復興期を元気づけたブギの女王とは

戦後間もなくから高度成長期までの間というのは、混沌とした中にたくさんの新しい文化が生まれた時代でした。

空襲により焼け野原になってしまった町並みを瓦礫の中から復興させていった先人達の苦労は想像するに余りありますが、そんなつらい状況に希望を与えてくれたのが街中を流れていた歌謡曲でした。

復興期の歌謡曲として今も名曲として残されているのは大体昭和21年~25年までの前半と、25年~29年の後半部分とに分かれています。

主に前半は「混乱期」、後半を「復興期」という雰囲気がありますが、全体を通して前向きで人の心を勇気づけてくれる歌詞やリズムが多く取り入れられています。

戦後間もない混乱期当初は「リンゴの唄」や「黙って見ている青い空」といった哀愁のあるメロディが流行し、復興に疲れがちな人の心を癒やしてくれてしました。

そんな中、アメリカン・ポップスの影響を多大に受けた初の歌謡曲として大ヒットとなったのが「東京ブギウギ」です。

「東京ブギウギ」1948年のミュージカルレビューとして日劇で上演されたことで大ヒットとなり、これは日本人だけでなく進駐軍の米兵たちの心も一気に掴みました。

このとき笠置シヅ子は21歳のことでしたが、13歳のときに初舞台を踏んでいるということからすでに十分な芸歴があったと言えます。

その後の「ブギ」ブームの火付け役となる

「東京ブギウギ」は洋楽的日本のポップスとして第一号という位置を築きました、
作曲をしたのは服部良一で、曲を作るにあたり、心からうきうきするものを作りそこから平和への叫びにつなげたいといった願いをこめたとしています。

思いついたの中央線の満員電車に揺られていた時なのだそうで、当時としては珍しかった8ビートにブギのリズムを取り入れた曲として作っています。

ちなみにこの服部良一という人は戦前戦中より作曲をしてきた人物ですが、当時はお金のために軍歌を作曲する人が多かったにも関わらずずっと洋楽ポップスを聴き続けてきたのだと言います。

「東京ブギウギ」は大ヒットしたことにより、ついにアメリカで公演をするという偉業まで達成しました。
しかしそんな全盛期を迎えた1955年に、笠置シヅ子は突然に歌手を引退すると宣言します。

笠置シヅ子は「東京ブギウギ」の他にも多くの「ブギ」を歌い、映画やミュージカルに出演していましたが、引退をしたことにより社会現象となった「ブギ」人気は一段落し、日本の歌謡曲は次の段階へと進んでいくこととなりました。

引退は40歳となんとも早い引退でしたが、その理由についてはあまり多くは語られていません。
しかし戦後の日本の音楽シーンを代表する一人であったという評価は今も全く変わることはないと言えます。

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