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  3. 男前といったらこの人、沢田研二
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全国の女性を一瞬にしてとりこにした「ジュリー」

「ジュリー」という名前を聞いて思わず興奮してしまいそうになるのはおそらく現在40代以降の年齢を迎えている方ではないかと思います。

「ジュリー」という呼び名はもともと沢田研二のニックネームのことで、ファンの間ではそのように呼ぶのが常識となっていました。

今更ですがなぜ「沢田研二」が「ジュリー」なのかというと、これは1986年の沢田研二本人の著書で「ジュリー・アンドリュースが好きだったのでそうなった」ということを言っています。

経歴をざっと説明すると、1948年6月25日生まれのA型です。
出生は京都だそうですが、鳥取で育ったので出身地は鳥取と公式に言っています。

デビューは60年代に大流行したグループサウンズの一つであった「ザ・タイガース」というグループで、リードボーカルとして登場して以来絶大な人気となりました。

ザ・タイガースが解散したあとにはソロ歌手として活動を開始し、阿久悠作詞・大野克夫作曲という楽曲製作者にも恵まれたこともあり、一気にスターダムへとのし上がっていきます。

代表的な曲としては「勝手にしやがれ」や「サムライ」といったものがあります。
歌手としてのキャリアを築く一方で、独特の色気を活かして俳優業も積極的に行うようになり個性派俳優として他の人ではできないような役柄を見事に演じていきました。

その一方で当時また大流行していたドリフターズの番組に出演をするなど、業界にとらわれない非常に幅広い芸能活動をしてきました。

中性的な色気が男らしさを感じさせる

ジュリーこと沢田研二の最大の魅力はやはり中性的で妖艶な雰囲気にあります。

今でこそ60代も後半となりもう70歳になろうかというい年齢になりましたが、全盛期の色気は現在活躍中の多くの俳優と比較しても全く遜色はありません。

全国の女性がまさに熱狂的なファンになったというのは大きな社会現象でもあり、現在中年期以降の女性にとっては青春の1ページと言えるでしょう。

男性の魅力というと、それまでは石原裕次郎的なタフでマッチョなタイプというふうに思われてきたものですが、沢田研二を代表とする色気のある男性もまたこの頃には多く芸能人として登場しました。

沢田研二は抜群のルックスと歌唱力があってこその大スターとなったわけですが、それを支えたスタッフの多くもまたその人に強く見せられていたということを後に語っています。

ジュリーに影響を受けたアーティストはたくさんいますが後にも先にもジュリーを超える色気を持った男性はいないのではないかと思います。

楽曲の多くは現在のアーティストからカバーをされており、当時の芸能界に大きな影響を与えたということを今もまた感じさせてくれています。

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